2012年7月 記事一覧

和歌を現代語に、また外国語に翻訳することは、難しいことではありますが基本的には可能ではないかと私は考えています。なぜなら、和歌は文字による 言葉を伝えるだけではなくて、人間の琴線に触れる本質的な内面の心理や、感激する心の情感を伝えているように思えるからです。このような熱い情感は、日本 語であれ外国語であれ現代語であれ、必ずや共通するものがあって、時空や国境を飛び越え、人間に等しく共感を与えるものだと思うのです。

 

私は以前、アメリカの子供達が書いたという英語の俳句を読んだことがあります。5-7-5の韻を踏むという慣れない詠み方にあっても、アメリカの子供達らしい雄大な自然に溶け込んだ素晴らしい俳句が多く、日本人の目から見ても心を打たれる作品が数多くあったことを思い出します。アメリカにおいても俳句は結構流行っているという話をその時聞きました。

 

例として和歌を一つ英語に訳すと、どういう感じになるでしょうか?万葉集の詠み人知らずの歌で、次のようなものがあります。「妹背川(いもせがわ)手に手を取りて 渡りなむ たとへ悪しき 深みは無くとも」妹背は夫婦のことです。「これから二人で 夫婦の川を 手に手を取って渡って行こう たとえ 意地悪な深みが無かったとしても」という若い二人の旅立ちの歌です。

 

私はこれを次のように訳してみました。
“Now let’s start crossing over the river of husband and wife,with taking hands each other!Even if there is no evil depth in the river.”

 

確かに妹背という意味はうまく訳せないかもしれません。31文字に凝縮された語感そのものを訳すことはむずかしいかもしれません。でも、愛し合う二 人がしっかりと手を繋ぎ、二人の将来に意地悪な深みが「無かったとしても」、繋ぎあったお互いの手のぬくもりを感じながら、お互いに支えあって生涯を送っ ていこうという、強くて優しい思いは十分に伝わるのではないでしょうか。

 

一千数百年も前の名前もわからない誰かが、その最愛の新妻に対してこういう心を抱き、それを表した言葉が、万葉の言葉であっても、また外国の言葉であったとしても、その思いは「時空を超えて」私の心までも暖かいものにしてくれるのです。
私はこの歌がとても好きです。

室町時代末期から江戸時代に入るまでの半世紀余り、日本国内は群雄割拠、下剋上が繰り返されるいわゆる「戦国時代」になる。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめとする戦国大名が戦いを繰り広げ、天下統一を争うわけであるが、この歴史をこれらの家を守る姫君達の立場を通じて見てみることにしたい。ここで取り上げる姫君達は、織田信長の妹である、市(お市の方)、そしてその三人の娘、茶々、初、そして江(ごう)である。

 

市は、1547年に信長の妹として尾張に生まれた。戦国時代随一の美女であったと伝えられている。21歳の時に信長の意向により、浅井長政(近江)に嫁ぎ、茶々、初、江、の三人の娘を生んだ。(息子も生まれたが、戦により殺害されている。) その後信長と、浅井・朝倉が戦を起こしたため(1570年)、市は夫と兄との間で板挟みとなる。結局浅井は戦死、市は三人の娘を連れて信長の下に帰ることとなった。その後、信長は1582年本能寺の変で倒れ、市は今度は柴田勝家に嫁ぐこととなった。しかしその1年後秀吉は柴田勝家を討ち、市は勝家と共に生涯を閉じることとなる。

 

三人の娘は、秀吉の庇護のもとに養育され、長女の茶々は秀吉の側室に入る。茶々は自分の母を討った秀吉の側室となり、その後秀吉の嫡男鶴松を生むこととなる。鶴松の病没後は淀君と呼ばれ、さらに秀吉の後継ぎとなる秀頼を生んだ。天下統一を果たした秀吉の側室として、また後継ぎの秀頼の母として、大阪城において栄耀栄華を極めたことは疑いもないが、1598年秀吉没後は運命が急変することとなる。1600年関ヶ原の戦いを経て、1615年大坂夏の陣において秀頼と共に自害することとなった。初は、若狭小浜藩主、京極高次の正室となる。京極家は浅井長政の主筋となる家柄で、茶々や秀吉の後ろ盾もあって高次は順調に出世をした。

 

三女の江は、1573年に生まれ、小督という名であった。初めは秀吉の意向を受け尾張の佐治家に嫁いだが、その後秀吉の姉の子供である、秀勝に嫁いだ。秀勝の死後さらに秀吉の命を受け、徳川家との婚姻政策のため、秀忠に嫁いだ。江戸に嫁いだことから「江に与える」(お江与)「江」(ごう)と呼ばれるに至った。江の夫秀忠は、その後第二代徳川将軍となり、大坂夏の陣に際しては徳川家の将軍として、江の姉の茶々(淀君)のいる大阪城を攻撃することとなった。江からすれば、夫が江の姉親子を攻撃しているわけであり、次女の初共々心を痛めた。その後江は、三代将軍となる家光を生み、また五女和子は後水尾天皇中宮となり、天皇家にも血縁を持つこととなった。

 

母の市、そしてその三姉妹は戦国の世の中にあってこのような空前絶後の時を刻んだ。図らずも身内同士、姉妹同士の望まない争いの中で、姫君達は歴史の中でそれぞれの壮絶な人生を送ったのである。

日本の権力者の中で、実質No.1になった女性が何人かいる。
私がそう認めるのは、卑弥呼、北条政子、そして春日局だ。卑弥呼は倭国の国王として君臨した。春日局は徳川家光の乳母であるが、実質的な総理大臣として政治を掌握した。北条政子は、源頼朝の正妻であるが、頼朝にもある意味においては畏れられ、頼朝亡き後も政治に君臨し、鎌倉時代の大宗を占める北条氏政権の基盤を作った人物だ。

 

鎌倉幕府は、1192年源頼朝によって開かれた。しかし源氏はわずか3代、27年間で途絶え、その後115年間にわたり鎌倉時代を担ったのは北条氏であった。
北条政子は1156年頃初代執権となる北条時政の娘として生まれ、1177年頃、伊豆で流人であった源頼朝と結婚し、2代将軍頼家(1182年)、そして3代将軍実朝(1192年)を生んだ。源氏の初代将軍頼朝は夫、2代3代将軍は二人とも実子ということになる。
政子と頼朝の出会いはかなり現代的で、当時の武家社会では珍しく相思相愛、しかも政子はかなり嫉妬深く、頼朝も随分と気を遣い、また恐れてもいたようだ。政子が頼家妊娠中に亀の前という女性を寵愛したところ、その女性が住んでいた伏見広綱の屋敷を打ち壊し、広綱を遠江へ流罪にさせている。
また、政子は長女の大姫を溺愛し、その夫である木曽義仲の息子義高の殺害を決めた時、それを頼朝の命により実行した藤内光澄を晒し首にすることを政子の主張を入れる形で行っている。かわいい大姫の落胆を和らげるためだが、理にかなわない狂気の主張だ。

 

政子の周りの人々は、早死にが多い。長女大姫は20歳にして元気を取り戻すことなく亡くなった。夫頼朝は1199年落馬がもとで急死した。長男頼家は乳母の夫の比企氏を重用したが、それを脅威に感じた政子は使者を父の時政に送り比企能員(よしかず)を謀殺、政子の命で比企氏を滅ぼしてしまった。頼家も政子の命で将軍職を追われ出家。のちに暗殺されている。
次に、父時政も政権を独占しようとしたことが政子の意向に反することとなり、政子は兄義時と結び、時政を出家させ伊豆へ追放した。次男実朝は甥の公卿に暗殺され源氏は3代で滅びることになる。政子にとっては、父も追放、将軍となった二人の息子も殺され、長女も若死に、ということになる。
さらに子供のいない実朝の跡取りには、後鳥羽上皇の皇子を将軍にと画策し、その間自分自身も従2位に叙されている。その後、皇権の回復を望む後鳥羽上皇との対立は深まり、承久の変においては政子の裁断で幕府軍の出撃が決まり、その結果として後鳥羽上皇は隠岐の島へ流された。

 

このように鎌倉幕府が開かれ、源氏がわずか3代で滅びるその過程においては、常に北条政子が中心におり重要な決断を行っている。そうして源氏によって開かれた鎌倉幕府は、政子の出身である北条氏の手に完全に委ねられることとなった。

 

その過程において、父親である時政は政子により出家させられ、夫や子供は多くが変死や暗殺にかけられている。すべてが政子の手にかかったものとは言えないであろう。しかし政子の意向を無視して重要人物が次々と排除させられていくこともできないのではないだろうか。
実権を握った「尼将軍」の力は、鎌倉幕府の成立という歴史の中で、大変な猛威を振るったのだと思う。その結果として、実の親も夫も、将軍となった二人の息子も失うという壮絶な人生を送ることとなるが、自身の出身家系ある北条氏はその後100年以上も政権を担うこととなったわけである。

「同意によってのみ課税される権利」
“Rights to be taxed only by consent”

アメリカの第2代大統領ジョン・アダムスは、初代ジョージ・ワシントン大統領と第3代トマス・ジェファーソンに比べて渋い感じは否めないが、実は大変重要な人物だ。彼は16歳でハーバード大学に入学し、ロースクールを経てロイヤーになった秀才だ。アメリカの独立戦争や独立宣言、憲法の起草などにおいても重要な役割を果たし、初代ワシントン大統領の副大統領として2期8年を務めた。その後第2代大統領となり、アメリカ政府のリーダーとして12年間政治の中枢にいた。

 

彼は課税について、当時アメリカの植民地の人間として守られるべき基本的な権利として、「同意によってのみ課税される権利」(rights to be taxed only by consent)の重要性を説いている。独立戦争のスローガンの一つともなった「代表なくして課税なし」と相通ずる考え方だ。

 

今、日本では、消費税をめぐる議論が与党の分裂を招き、いまだに方向性が見えにくい状況にまでなっているが、それは国民の「同意」を明確に得ていないことに根本的な問題があると思う。

 

民主党は前回の衆議院議員選挙で大勝したが、それは二大政党による政権交代を望む国民の熱狂的な支持によるものであった。消費税増税については、国民は何の審判も下しておらず本件については早く国政選挙を通じて国民の判断を得る必要がある。

 

ここで最も重要なのは、国民に対する正確で分かりやすいきちんとした判断材料を提供することだ。判断材料として最も重要なものは、消費税増税により所得税、法人税、消費税、その他の税収(揮発油税、相続税、印紙税等)がどのような税収構造になると想定されるのか、その結果として、どのくらい税収が増える(あるいは減る)と考えられるのか。

 

また、消費税増税に合わせて、どれくらいの歳出カットを実現しようとするのか。その結果としてその後の国債発行をいくら位まで減少させることができ、いつ頃までにプライマリーバランスを均衡させることができるのかを明らかにすることだろう。

 

この判断材料の提供が正確になされ、国民の審判が得られて初めて、「同意によってのみ課税される権利」が守られるのだと考える。

消費税増税に関する議論が広く行われ、その法案が衆議院で可決された。しかし、これに関する見通しはいまだはっきりせず、政権与党内部においてすら方向性が見えない状態が続いている。
これは、税に関する議論が、国民すべての生活に大きく関わってくるものであり、その全体の姿が未だにはっきり示されないまま、国民の同意を得られていないところに根本の問題があるのではないかと思う。
つまり、税に関しては、クロヨン(964)、トーゴーサンピン(10,5,3,1)と言われるような税負担の不公平感の問題、国と地方の税収、税源をどのように図るか、直間比率をどう描くべきか、歳出削減をどう図り、どのような姿で、またどのようなスケジュールの中にプライマリーバランスを達成しようとするのか、といった議論が十分になされていないところに問題があるように思う。

そもそも、消費税率を引き上げた時に、税収総額は本当に増加するのだろうか。その時の税収構造はどのような姿になると想定されるのだろうか。これはそんなに簡単な問題ではない。
今年度(平成24年度)の日本の予算を見ると、税収が約42兆円。内訳は、所得税約13兆円、法人税9兆円。消費税10兆円。その他税収(揮発油税、酒税、相続税等)10兆円となっている。一方、日本の歳出予算は約90兆円。足りない分の44兆円が公債金収入(国債)という借り入れになっている。
ここで、消費税を5%から10%に税率を引き上げた時、税収構造はどのように変化するのだろうか。そして税収総額は本当に増えるのだろうか?
まず、消費税率の引き上げはどうしても経済の減速要因にはなる。消費税10兆円の税収は単純に2倍の20兆円になると考えることはできない。消費もかなり冷え込むことも想定しておかなくてはならない。

次に、法人税については、現在73%の法人が赤字決算となっており、法人税を払っていない。残りの22-23%の法人も赤字ではないが黒字幅が小さく僅かな法人税しか払っていない。金額の大きい法人税はほんの数%の法人によって支払われているという状況にあると言われている。そうした中、消費税はすべての法人の売上(粗利)にかけられるため、その負担は大変に大きい。

さらに、日本のデフレはインターネットで世界のランキング表を見ると183カ国中ダントツ1位だ。その状況で消費税を消費者に転嫁することかなり困難だ。消費税を消費者に転嫁できず、生産者が負担することとなれば、その税負担はその企業の経費となるため、利益が減少し、結果として法人税や所得税も減少することとなるだろう。
そうしたことを総合的に勘案すると、消費税率の増税は必ずしも税収総額を引き上げるとは限らないと考えられる。消費税率を増税して、税収総額が減少したのでは元も子もない。ここは、エコノミストの英知を結集してよく検討すべきところだと思う。

さらに、消費税率の引き上げによって税収総額が仮に増加したとしても、経済成長がここ20年間のようにあまり見られないとすれば、毎年継続的に行われる40兆円以上もの借入をどうやって減少させていくのか、つまりプライマリーバランスをどうやって達成していくのかその道筋を明確にしていく必要があるだろう。根本的な歳出削減を広範に行わずに、また民間の力を引き出す規制緩和を行わずにプライマリーバランスを達成していくことは極めて難しいのではないだろうか。

(以上、私見を思いつくままに書いてみました。読んで頂いている皆様のご意見やご批判、御教示等頂ければ幸いです。)

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