2013年6月 記事一覧

1964年に開催された「東京オリンピック」は、日本の戦後の経済発展において、大変大きな意義があったと思う。東海道新幹線や、東名、名神高速道路、首都高や地下鉄、競技場やホテル等、社会インフラも大きく整い、カラーテレビは一般家庭に爆発的に普及した。1960年代、70年代の2桁成長を続ける中にあって、オリンピックが日本経済を大きく導き、国民はその恩恵を実感した時だったのだと思う。
ソウルオリンピックも韓国の経済を一流のものにするのに大きく貢献した。東京オリンピックで日本の平均株価は約3倍になったが、韓国では9.5倍にもなった。
中国においても北京オリンピックが中国経済をGDP世界第2位に押し上げるのに貢献した役割は大きい。

 

 

オリンピックはスポーツの祭典ではあるが、歴史的に見ればその平和の祭典が、開催地域の経済や社会の発展に大きく貢献してきた。そうしたことを通じて、平和の配当や豊かさを分け合い、それぞれの地域が平和にそして豊かになっていくことを実感してきたのだと思う。だからこそ、オリンピックはその意義を世界中の人々と実感し合い、また共通の思い出を共有することになるのだと思う。

 

 

オリンピックの開催地には、2016年に選考された南米で経済発展を期待されるブラジルや、今回イスラム社会初めてのオリンピックを訴えるイスタンブールに、上記のような意義が感じられるところであろう。日本においては東京オリンピックに何か釈然としないものを感じる世論調査やネット上の議論は根強い。新東京銀行の納得のいく処理や、責任問題を問うべきタイミングでオリンピック誘致が急に出てきたのも奇妙なことだ。

 

 

トルコやブラジルでも、オリンピックのために財政を使っていくことに強い反発が出ている。日本の財政状況を考えれば、同じような議論が日本の中に起こってくることは決して不思議ではないだろう。
日本人も本来「オリンピックの意義」がどういうところにあるのか、今回当選した新たな都議会議員や投票した都民も含め、落ち着いてよく考えてみるべきではないだろうか。

安部内閣になって、急に憲法改正の議論が行われるようになった。
これについては、そもそも憲法というのはどのような法なのかをよく考える必要がある。
日本国憲法を見てもわかるように、大きく分けると憲法には基本的人権の尊重といった人権保証の部分(第3章)と、国の統治機構の構成を記す部分(国会、内閣、裁判所、第4-6章)等からできている。

 

 

歴史的には、憲法は国家組織に関する規定や政府の権限の限界を規定したものから、しだいに国民の人権の保証や主権在民の考え方を明確にする内容へと変化してきた。
イギリスにおいて1215年に制定されたマグナ・カルタ(大憲章)は、国王の課税権を制限するなど国王の権力の限界を規定し、また国法か裁判によらなければ自由や生命、財産を侵されないといった国民の権利の保護を明文化している。
この思想は、1628年の権利の請願、1642年の清教徒革命、1688年の名誉革命、1689年の権利章典、1776年のアメリカの独立、1789年のフランス革命等、市民革命や憲法の制定の流れにおいても引き継がれている。
国家権力の暴走を防ぎ、国民の基本的人権を守り、主権在民を守ってくことが憲法の最も目指すことであって、そのためにこそ三権分立や平和主義などが規定されている。

 

 

日本国憲法第97条(最高法規)には、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」との規定がある。
また、同じ最高法規の章、第99条には憲法尊重擁護の義務者として、立法、司法、行政にかかる者は規定されているが、国民は書かれていない。すなわち国の統治機構にいるものに国民を守るため憲法の擁護を義務付けている規定になっている。

 

 

そのように考えると、憲法の修正は今の硬性憲法において国民の大多数の者が修正すべきと考えるものを修正すべきであって、これまでの憲法の歴史や思想を大きく変更しかねない96条自体の修正を議論することはもっと慎重に行うべきと考える。

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