2014年6月 記事一覧

憲法は、いかなる民主国家、法治国家にとっても最も重要な法だ。
日本国憲法にも、基本的人権の尊重および、主権在民が明確に規定され、それを守っていくために、平和主義や三権分立が確保される統治機構が規定されている。
さらに第10章最高法規第97条には「この憲法が日本国民に保証する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在および将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」と謳っている。
このように重要な憲法を守るために、多くの国が「憲法の番人」を置き、あってはならない「政府の暴走」等から憲法を守るようにしている。
法律改正よりはるかにハードルの高い憲法改正の規定を置くのはもちろんのこと、「憲法裁判所」を置いて、具体的な訴訟事件を前提としなくても、抽象的に法令その他の国家行為の違憲審査を行う権限を与えているところも多い。
日本の場合は、行政権を担う内閣の下に内閣法制局が置かれ、独立した第三者機関ではないものの「憲法裁判所的機関」の役割を担ってきた。これは国会における多数の法律が各省庁において起草されてきたため、法律問題に関する行政解釈の統一を担当し多くの憲法解釈を内閣法制局が示してきたからである。
行政は法律に基づいて行われ、その解釈の積み重ねは憲法の趣旨を最も的確に表すものとなるものだ。内閣法制局は、今回の集団的自衛権の問題についても、「憲法の番人」として国民のために憲法を守っていくことが強く求められている。

個別的自衛権、すなわち日本が攻撃を受けた時、これに応じ武力を行使することは広く認められているところだ。国家は国民と領土からなっているものであり、これが侵害されるのであれば様々な手段で侵害を排除するための対応を行うことはどの国に対しても認められるところだ。

 

 

集団的自衛権の場合は、これは大きく異なる。第3国が武力攻撃を受けた場合、一定の条件のもと日本も武力行使を行うことを容認しようとするものだ。
しかし、日本国憲法はその前文において「政府の行為によってふたたび戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」とある。さらに第9条では「武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」さらに「国の交戦権はこれを認めない。」と明確に武力の行使を禁止している。

 

 

今、安倍政権はどういう場合に集団的自衛権が認められるか事例を挙げて示そうとしているが、違憲状態で集団的自衛権を容認することはできず、基本的には個別的自衛権でできるところはどこまでなのかをまず研究し、その範囲内で対応していくことが必要なのではないか。
第3国が攻撃にさらされた時、日本も武力を行使することを前提とすると平時においても軍事情報の徹底的な収集が不可欠になるであろうし、日本からの武力行使に対するさらなる反撃に対する次の手また、停戦までの筋道もつけておかねばならないだろう。どの段階で宣戦布告をなし、どの段階で停戦としうるのか、その結果軍事費がどの程度増大していくことが想定されるかといったことについても国民の理解を得ていく必要があるだろう。
大変慎重な議論が必要になっていくと思われる。国のあり方を変えていく大問題といわれているゆえんである。

ブラジルのワールドカップが直前に迫っても、ブラジル国民の反対運動は収まらない。サッカーを国技とし、幼いころからサッカーを愛してきたブラジル人には、余程のことなのだろう。ワールドカップに1兆円以上ものお金をつぎ込むことに、市民は納得できていないのだろう。
貧困対策、医療、教育、防犯等々、一般市民はそういった日々の生活を支えることに税金を活用してほしいと強く願っているのだ。

 

日本のオリンピックについても、現在の財政状況を見れば決して舞い上がっている時ではない。テレビ等でもよく取り上げられていることだが、多くの建築家やアスリート、有識者は国立競技場の建て替えに反対している。コストがかかりすぎるからだ。

 

猪瀬前都知事も、オリンピックを最小のコストで行うのだと繰り返し説明していたのに、招致が決まった直後から膨大な計画が次々と打ち出されてきている。
特に問題なのは、そのような計画が、所有者である国民や都民に十分な説明が行われず、既成事実の積み重ねのようにどんどん進んで行っている印象が強いことだ。
政府や都知事は、どのような計画で、どれくらいの予算を見込み、大会後の運営や維持、メンテナンス等にどれくらいのお金がかかるのかしっかりと繰り返し国民に説明し、それを国民が十分に検討し、選択し納得できる状況を作っていくことが極めて重要だと思う。

集団的自衛権を行使するとなると、第3国を防衛するために武力を行使するわけだから、結果としては戦争に巻き込まれる可能性が高まることを覚悟しなければならないだろう。

第三国を攻撃する国にとって、それを武力をもって阻止されることは戦略上極めて大きな痛手となることだろうから、その後の展開としてはその戦いが長期化することも覚悟しなければならない場合も想定される。

そうした場合、軍事費の増大、秘密保護法の強化、徴兵制がとられればそれにかかる社会的コストの上昇に加え、外国からのテロやスパイ活動にかかるコスト等も急増することを想定しなくてはならない。平和憲法を持ち、戦争をせず、武力の行使もしないことを戦後一貫して守ってきた日本はそのような社会的コストは相当程度小さかった。しかし、上記のようなことが現実に社会全体にかかってくると世の中全体が大きく変化することになるのだろう。

 

 

武力を使わない日本には、テロやスパイ活動も大がかりに行う必要もなかった。しかし、集団的自衛権の容認により、日本が武力行使も行うということになると、日本の軍事情報や政治情報等も諸外国もより正確に知る必要が高まり、テロやスパイ活動の対象としてより真剣に日本をとらえてくることもありうることではないだろうか。

集団的自衛権を容認するかどうかを考える時、そのようなコスト払うべきかどうか、国民は充分に検討することが必要であろう。

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