室町時代末期から江戸時代に入るまでの半世紀余り、日本国内は群雄割拠、下剋上が繰り返されるいわゆる「戦国時代」になる。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康をはじめとする戦国大名が戦いを繰り広げ、天下統一を争うわけであるが、この歴史をこれらの家を守る姫君達の立場を通じて見てみることにしたい。ここで取り上げる姫君達は、織田信長の妹である、市(お市の方)、そしてその三人の娘、茶々、初、そして江(ごう)である。

 

市は、1547年に信長の妹として尾張に生まれた。戦国時代随一の美女であったと伝えられている。21歳の時に信長の意向により、浅井長政(近江)に嫁ぎ、茶々、初、江、の三人の娘を生んだ。(息子も生まれたが、戦により殺害されている。) その後信長と、浅井・朝倉が戦を起こしたため(1570年)、市は夫と兄との間で板挟みとなる。結局浅井は戦死、市は三人の娘を連れて信長の下に帰ることとなった。その後、信長は1582年本能寺の変で倒れ、市は今度は柴田勝家に嫁ぐこととなった。しかしその1年後秀吉は柴田勝家を討ち、市は勝家と共に生涯を閉じることとなる。

 

三人の娘は、秀吉の庇護のもとに養育され、長女の茶々は秀吉の側室に入る。茶々は自分の母を討った秀吉の側室となり、その後秀吉の嫡男鶴松を生むこととなる。鶴松の病没後は淀君と呼ばれ、さらに秀吉の後継ぎとなる秀頼を生んだ。天下統一を果たした秀吉の側室として、また後継ぎの秀頼の母として、大阪城において栄耀栄華を極めたことは疑いもないが、1598年秀吉没後は運命が急変することとなる。1600年関ヶ原の戦いを経て、1615年大坂夏の陣において秀頼と共に自害することとなった。初は、若狭小浜藩主、京極高次の正室となる。京極家は浅井長政の主筋となる家柄で、茶々や秀吉の後ろ盾もあって高次は順調に出世をした。

 

三女の江は、1573年に生まれ、小督という名であった。初めは秀吉の意向を受け尾張の佐治家に嫁いだが、その後秀吉の姉の子供である、秀勝に嫁いだ。秀勝の死後さらに秀吉の命を受け、徳川家との婚姻政策のため、秀忠に嫁いだ。江戸に嫁いだことから「江に与える」(お江与)「江」(ごう)と呼ばれるに至った。江の夫秀忠は、その後第二代徳川将軍となり、大坂夏の陣に際しては徳川家の将軍として、江の姉の茶々(淀君)のいる大阪城を攻撃することとなった。江からすれば、夫が江の姉親子を攻撃しているわけであり、次女の初共々心を痛めた。その後江は、三代将軍となる家光を生み、また五女和子は後水尾天皇中宮となり、天皇家にも血縁を持つこととなった。

 

母の市、そしてその三姉妹は戦国の世の中にあってこのような空前絶後の時を刻んだ。図らずも身内同士、姉妹同士の望まない争いの中で、姫君達は歴史の中でそれぞれの壮絶な人生を送ったのである。

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