日本という国はいつ頃どのように成立したのだろうか。これは私たち日本人にとってとても興味深いことだ。実際問題として、大和朝廷がいつ頃どこに成立したのか、はっきりはしていない。北九州なのか近畿なのかさえも、いまだに議論は分かれている。
女王卑弥呼が統治していた邪馬台国が、3世紀にあったということは事実であろうが、そこからの約300年間の動静は渾然としているように思われる。
その間特に目を引くのは、中国や朝鮮半島との豊かな交流だ。魏国や高句麗、百済、新羅等と様々な交流が行われ、朝鮮半島には任那日本府といった朝鮮半島における基盤も持つに至った。任那は512年伽耶の国として百済に併合され、その後562年新羅に滅ぼされている。

戦いに敗れた伽耶の人々は、いわゆるボートピープルとして追い出されることになる。出ていく先は島根、出雲地方、北陸地方、九州、そして瀬戸内海を渡ってその島々や中国地方へと流れ込んでくる。今でも岡山県の鬼の城(きのじょう)、瀬戸内海のいくつかの島々にも要塞の跡がみられ、また讃岐地方にもその痕跡や伝承が残っている。
朝鮮半島から来た人たちは、言葉が通じない、鉄文化を持ち、それゆえ鉄製の強力な武器を持っている、文化も異なり、村人たちの財産や食料を海賊同様に奪い去り、それゆえ鬼として恐れられていた。そうした海賊行為に苦しむ人々を救い、鬼が島を退治した大和朝廷からの遠征軍が、「桃太郎伝説」として今でも子供たちのおとぎ話として広く受け継がれているという説がある。

吉備津彦命(きびつひこのみこと)だ。吉備津彦命は7代目の天皇である孝霊天皇の子で、崇神天皇の命を受けて鬼退治に向かったとされる。途中、吉備地方の豪族たちの領地を保証してあげることで、(吉備団子を渡すこと)彼らと連合軍を組み、(申、酉、戌)鬼門にいる(丑、寅)を打ち破った。
私は方位学の事はわからないが、東北の鬼門(丑寅)に対し、西方の申酉戌の角度は最強の方角なのだということを聞いたことがある。そのようなことも伝説の中には含まれていたのかもしれない。

吉備津彦命は、島根、出雲地方にも平定のため赴いており、朝鮮半島からもたらされた鉄文化を出雲地方においても、また岡山地方においても制圧し、大和朝廷の成立に大きく貢献したのではないかと考えている。
子供たちが今になっても愛してやまない、強くたくましい「桃太郎」は、私たちの国の成立に基づく伝承が元になっているからかもしれないと思うのである。

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