1964年に開催された「東京オリンピック」は、日本の戦後の経済発展において、大変大きな意義があったと思う。東海道新幹線や、東名、名神高速道路、首都高や地下鉄、競技場やホテル等、社会インフラも大きく整い、カラーテレビは一般家庭に爆発的に普及した。1960年代、70年代の2桁成長を続ける中にあって、オリンピックが日本経済を大きく導き、国民はその恩恵を実感した時だったのだと思う。
ソウルオリンピックも韓国の経済を一流のものにするのに大きく貢献した。東京オリンピックで日本の平均株価は約3倍になったが、韓国では9.5倍にもなった。
中国においても北京オリンピックが中国経済をGDP世界第2位に押し上げるのに貢献した役割は大きい。

 

 

オリンピックはスポーツの祭典ではあるが、歴史的に見ればその平和の祭典が、開催地域の経済や社会の発展に大きく貢献してきた。そうしたことを通じて、平和の配当や豊かさを分け合い、それぞれの地域が平和にそして豊かになっていくことを実感してきたのだと思う。だからこそ、オリンピックはその意義を世界中の人々と実感し合い、また共通の思い出を共有することになるのだと思う。

 

 

オリンピックの開催地には、2016年に選考された南米で経済発展を期待されるブラジルや、今回イスラム社会初めてのオリンピックを訴えるイスタンブールに、上記のような意義が感じられるところであろう。日本においては東京オリンピックに何か釈然としないものを感じる世論調査やネット上の議論は根強い。新東京銀行の納得のいく処理や、責任問題を問うべきタイミングでオリンピック誘致が急に出てきたのも奇妙なことだ。

 

 

トルコやブラジルでも、オリンピックのために財政を使っていくことに強い反発が出ている。日本の財政状況を考えれば、同じような議論が日本の中に起こってくることは決して不思議ではないだろう。
日本人も本来「オリンピックの意義」がどういうところにあるのか、今回当選した新たな都議会議員や投票した都民も含め、落ち着いてよく考えてみるべきではないだろうか。

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