世界中の多くの人々は、スポーツが大好きだ。世界的なレベルでの競い合いは、多くの人々を魅了し感動させる。特にオリンピックは様々な競技を見ることができて、何度見ても素晴らしいものは感動が薄れない。その裏にある、100分の1秒を競うための練習、そして100分の1点を競う練習の執念が、その競技を通じて我々にその気迫を見せてくれるからなのだろう。

 

しかし、そのスポーツの楽しさと、競技や運営に政治的、経済的、利権が絡んでくるような部分は、常に問題として感じられるところだ。本当は、数千億円の費用で、コンパクトな効率の良い設営を目指している説明をしていたのに、オリンピックが東京に決定すると、あっという間に2-3兆円の費用を想定するなど、ここぞとばかりに法外な予算を付けてくる。予算も一般の通常予算に計上されているものではないと言われており、普通の国民はなぜ予算額がころころ変わて行くのか理解できないでいる。

 

オリンピックには様々な工事が入り、広告が入り、多くのカネが入り、スポンサー企業が資金を提供し、そういうところに部分的にせよ関係する組織に身を置いている者は、その盛り上がりに違和感を感じたとしてもとても批判的なことは口に出せないという面があるのだろう。

 

ブラジルの世論調査でも、経済的にはマイナスだったとする人々が6割以上になっている。

東京オリンピックに対しても「日本は後進国でもないのに」異常に騒ぎすぎるといった声も少なくない。

当初の日本のスタンスを思い出し、コンパクトで少ない費用であったとしても、心のこもった「オモテナシ」ができることが最も望まれることではないかと思う。

金額的に節度のあるものだったとしても、スポーツで生まれてくる感動は決して色あせるものにはならないと思う。

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