「同意によってのみ課税される権利」
“Rights to be taxed only by consent”

アメリカの第2代大統領ジョン・アダムスは、初代ジョージ・ワシントン大統領と第3代トマス・ジェファーソンに比べて渋い感じは否めないが、実は大変重要な人物だ。彼は16歳でハーバード大学に入学し、ロースクールを経てロイヤーになった秀才だ。アメリカの独立戦争や独立宣言、憲法の起草などにおいても重要な役割を果たし、初代ワシントン大統領の副大統領として2期8年を務めた。その後第2代大統領となり、アメリカ政府のリーダーとして12年間政治の中枢にいた。

 

彼は課税について、当時アメリカの植民地の人間として守られるべき基本的な権利として、「同意によってのみ課税される権利」(rights to be taxed only by consent)の重要性を説いている。独立戦争のスローガンの一つともなった「代表なくして課税なし」と相通ずる考え方だ。

 

今、日本では、消費税をめぐる議論が与党の分裂を招き、いまだに方向性が見えにくい状況にまでなっているが、それは国民の「同意」を明確に得ていないことに根本的な問題があると思う。

 

民主党は前回の衆議院議員選挙で大勝したが、それは二大政党による政権交代を望む国民の熱狂的な支持によるものであった。消費税増税については、国民は何の審判も下しておらず本件については早く国政選挙を通じて国民の判断を得る必要がある。

 

ここで最も重要なのは、国民に対する正確で分かりやすいきちんとした判断材料を提供することだ。判断材料として最も重要なものは、消費税増税により所得税、法人税、消費税、その他の税収(揮発油税、相続税、印紙税等)がどのような税収構造になると想定されるのか、その結果として、どのくらい税収が増える(あるいは減る)と考えられるのか。

 

また、消費税増税に合わせて、どれくらいの歳出カットを実現しようとするのか。その結果としてその後の国債発行をいくら位まで減少させることができ、いつ頃までにプライマリーバランスを均衡させることができるのかを明らかにすることだろう。

 

この判断材料の提供が正確になされ、国民の審判が得られて初めて、「同意によってのみ課税される権利」が守られるのだと考える。

消費税増税に関する議論が広く行われ、その法案が衆議院で可決された。しかし、これに関する見通しはいまだはっきりせず、政権与党内部においてすら方向性が見えない状態が続いている。
これは、税に関する議論が、国民すべての生活に大きく関わってくるものであり、その全体の姿が未だにはっきり示されないまま、国民の同意を得られていないところに根本の問題があるのではないかと思う。
つまり、税に関しては、クロヨン(964)、トーゴーサンピン(10,5,3,1)と言われるような税負担の不公平感の問題、国と地方の税収、税源をどのように図るか、直間比率をどう描くべきか、歳出削減をどう図り、どのような姿で、またどのようなスケジュールの中にプライマリーバランスを達成しようとするのか、といった議論が十分になされていないところに問題があるように思う。

そもそも、消費税率を引き上げた時に、税収総額は本当に増加するのだろうか。その時の税収構造はどのような姿になると想定されるのだろうか。これはそんなに簡単な問題ではない。
今年度(平成24年度)の日本の予算を見ると、税収が約42兆円。内訳は、所得税約13兆円、法人税9兆円。消費税10兆円。その他税収(揮発油税、酒税、相続税等)10兆円となっている。一方、日本の歳出予算は約90兆円。足りない分の44兆円が公債金収入(国債)という借り入れになっている。
ここで、消費税を5%から10%に税率を引き上げた時、税収構造はどのように変化するのだろうか。そして税収総額は本当に増えるのだろうか?
まず、消費税率の引き上げはどうしても経済の減速要因にはなる。消費税10兆円の税収は単純に2倍の20兆円になると考えることはできない。消費もかなり冷え込むことも想定しておかなくてはならない。

次に、法人税については、現在73%の法人が赤字決算となっており、法人税を払っていない。残りの22-23%の法人も赤字ではないが黒字幅が小さく僅かな法人税しか払っていない。金額の大きい法人税はほんの数%の法人によって支払われているという状況にあると言われている。そうした中、消費税はすべての法人の売上(粗利)にかけられるため、その負担は大変に大きい。

さらに、日本のデフレはインターネットで世界のランキング表を見ると183カ国中ダントツ1位だ。その状況で消費税を消費者に転嫁することかなり困難だ。消費税を消費者に転嫁できず、生産者が負担することとなれば、その税負担はその企業の経費となるため、利益が減少し、結果として法人税や所得税も減少することとなるだろう。
そうしたことを総合的に勘案すると、消費税率の増税は必ずしも税収総額を引き上げるとは限らないと考えられる。消費税率を増税して、税収総額が減少したのでは元も子もない。ここは、エコノミストの英知を結集してよく検討すべきところだと思う。

さらに、消費税率の引き上げによって税収総額が仮に増加したとしても、経済成長がここ20年間のようにあまり見られないとすれば、毎年継続的に行われる40兆円以上もの借入をどうやって減少させていくのか、つまりプライマリーバランスをどうやって達成していくのかその道筋を明確にしていく必要があるだろう。根本的な歳出削減を広範に行わずに、また民間の力を引き出す規制緩和を行わずにプライマリーバランスを達成していくことは極めて難しいのではないだろうか。

(以上、私見を思いつくままに書いてみました。読んで頂いている皆様のご意見やご批判、御教示等頂ければ幸いです。)

日本という国はいつ頃どのように成立したのだろうか。これは私たち日本人にとってとても興味深いことだ。実際問題として、大和朝廷がいつ頃どこに成立したのか、はっきりはしていない。北九州なのか近畿なのかさえも、いまだに議論は分かれている。
女王卑弥呼が統治していた邪馬台国が、3世紀にあったということは事実であろうが、そこからの約300年間の動静は渾然としているように思われる。
その間特に目を引くのは、中国や朝鮮半島との豊かな交流だ。魏国や高句麗、百済、新羅等と様々な交流が行われ、朝鮮半島には任那日本府といった朝鮮半島における基盤も持つに至った。任那は512年伽耶の国として百済に併合され、その後562年新羅に滅ぼされている。

戦いに敗れた伽耶の人々は、いわゆるボートピープルとして追い出されることになる。出ていく先は島根、出雲地方、北陸地方、九州、そして瀬戸内海を渡ってその島々や中国地方へと流れ込んでくる。今でも岡山県の鬼の城(きのじょう)、瀬戸内海のいくつかの島々にも要塞の跡がみられ、また讃岐地方にもその痕跡や伝承が残っている。
朝鮮半島から来た人たちは、言葉が通じない、鉄文化を持ち、それゆえ鉄製の強力な武器を持っている、文化も異なり、村人たちの財産や食料を海賊同様に奪い去り、それゆえ鬼として恐れられていた。そうした海賊行為に苦しむ人々を救い、鬼が島を退治した大和朝廷からの遠征軍が、「桃太郎伝説」として今でも子供たちのおとぎ話として広く受け継がれているという説がある。

吉備津彦命(きびつひこのみこと)だ。吉備津彦命は7代目の天皇である孝霊天皇の子で、崇神天皇の命を受けて鬼退治に向かったとされる。途中、吉備地方の豪族たちの領地を保証してあげることで、(吉備団子を渡すこと)彼らと連合軍を組み、(申、酉、戌)鬼門にいる(丑、寅)を打ち破った。
私は方位学の事はわからないが、東北の鬼門(丑寅)に対し、西方の申酉戌の角度は最強の方角なのだということを聞いたことがある。そのようなことも伝説の中には含まれていたのかもしれない。

吉備津彦命は、島根、出雲地方にも平定のため赴いており、朝鮮半島からもたらされた鉄文化を出雲地方においても、また岡山地方においても制圧し、大和朝廷の成立に大きく貢献したのではないかと考えている。
子供たちが今になっても愛してやまない、強くたくましい「桃太郎」は、私たちの国の成立に基づく伝承が元になっているからかもしれないと思うのである。

「日本」という国は、いつ頃どのようにして成立したのだろうか。古くは邪馬台国があり、好太王の碑(391年)は日本の朝鮮半島への出兵を物語る。しかし、一つの国家としての制度が整い、諸外国にも認められる体制を築き上げたのはどの時点だったのだろうか。
聖徳太子は17条憲法(604年)や、官位十二階の制度(603年)を作り、遣隋使(607年)を送って国際外交を展開しようとした。しかし、道半ばにして蘇我氏との抗争に巻き込まれ、国家としての制度が定まったというところまではいっていないように思える。
そうして見ていくと、大化の改新後(645年)半世紀を経て、701年に大宝律令が制定されていることが注目される。さらにその後718年には養老律令も制定されるが、これは中臣鎌足の息子、藤原不比等により制定されたとされている。
さらに708年には、和同開珎の鋳造が始まり、国の財政の基盤をなす貨幣の流通も始まった。さらに、710年には藤原京から平城京に都が移され、712年には古事記、720年には日本書紀の編纂も行われた。このような国史の編纂は独立国としての正当性を公に対外的に主張する上で、大変意味深いことではなかったかと思う。
さらに723年には三世一身の法、743年には墾田永世私財法の制定も行われ、経済発展の基礎も大きく整えられた。
また、聖武天皇の主導により各地には、国分寺、国分尼寺が建てられ、752年には東大寺大仏開眼供養が盛大に営まれた。この開眼供養はインドの高僧による導師の下に中国、朝鮮、東南アジアの各地からも含め、1万数千人もの人々が招かれた国際的な大イベントであった。
東大寺の大仏の規模や、その鋳造技術は世界的にも大変優れたものであり、大いに誇れるものであった。日本という国家の威容を国際的に強く印象付けるものであったと思われる。
このように見てくると、日本国の制度は8世紀前半に様々な分野で大きく整ってきた感じがする。

ところで、この一連の流れの中で、大変注目すべき人物の存在に気づく。藤原不比等だ。
不比等は、この国造りの過程において、全体のマスタープランを取り仕切っていたと考えられる。その力の源泉として彼はまず、自分の娘、宮子を文武天皇に嫁がせている。聖武天皇はその子供であり、不比等からすれば大切な孫だ。さらに聖武天皇にも自分自身の娘である光明子(宮子の異母妹)が嫁いでいる。光明子立后の際には皇族の実力者であった長屋王が反対していたが、藤原四兄弟の陰謀により自害に追い込まれ、光明子は結局聖武天皇の皇后に立后された。さらにその娘である阿部内親王は、聖武天皇の退位後孝謙天皇となっている。聖武天皇の母と皇后は不比等の娘、聖武天皇は孫、孝謙天皇は曾孫ということであり、不比等(等しく比べるものはいない)という名は文字通り彼自身が絶対権力者であったことを如実に物語っている。
その後平安時代において、藤原氏はさらに勢力を強めていくわけであるが、国の成り立ちはこの8世紀の前半に不比等を中心として広範に整えられていったのではないかと考えている。

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