本年9月4-6日、日本テレビ系(NNN)が行った標記世論調査においても安保法案の今国会での成立に反対する人は65.6%と前月より7.8ポイントも増え、国民の反対は大変強いものとなっていることがわかる。(賛成は4.5% 前月比 -5.0%)    <NNN電話世論調査>【調査日】9月4日~6日 【全国有権者】2099人 【回答率】50.2%

 

安保関連法案については、様々な点において国民は疑問を持ち、不安を感じていると思うが、整理してみると、次の5点についての疑問を感じているのではないかと思う。

 

1.政策的問題   安倍首相は、安保関連法案は平和をより積極的に求めていくものだと説明するが、本当であろうか?日本は平和憲法の下、戦後70年間に亘り一度も戦争を行うことなく、平和を実現してきた。日本はいわば大変先進的な平和憲法を実践してきたわけであり、世界の国々も追随してくるような積極的平和主義を強力に推進していくべきではないか。                        皆が拳銃を持っていれば、そう簡単に拳銃を撃つことはできなくなるだろうといっても、85%の人々がピストルを所持するアメリカにおいては、年に1万人もの人々が毎年拳銃の犠牲になっているのだ。

 

2.法的問題   集団的自衛権が、憲法の規定と整合性がとれないとの指摘は依然として根強いものがある。多くの憲法学者、最高裁判所を含む裁判官経験者、内閣法制局長官経験者等多くの学識経験者が違憲であるとの認識を明確にしている。日本の領土や国民の命が危機にさらされた時、個別的自衛権をもって対処できると唱える主張はかなり根強いものがある。

 

3.立憲主義   「国政は国民の厳粛な信託によるものであって」公務員に対し「この憲法を尊重し擁護する義務を負う」としている立憲主義が、政府の閣議決定で積み重ねられてきた解釈を変えていくとを通じて崩されていくことなど想定できない。立憲主義が脅かされるものではないか。

 

4.財政的負担   集団的自衛権等地域を超えた活動を行っていくためには軍事上、情報上、その他あらゆるリスクやコストの上昇が想定されるところであり、そのような負担がどのような形でどのくらいの規模で出てくるのか予見できない。そうした負担能力が現在の日本にあるのか。

 

5.平和主義   日本は上記のような軍事的な貢献を目指すのではなく、個別的自衛権の堅持を前提として、それ以外の経済的、技術的、文化的、外交的等非軍事的分野で平和のために大きく貢献する道を目指すべきではないか。

新国立競技場の検討見直しが公表されても、問題はすっきりとした形では落ち着かない。関係者の間には不満が満ちているようであるし、責任問題、すでに支払った費用や、今後の賠償問題の可能性等についてもすっきりしたものとは言えないようだ。

今回のことで最も重要なところは、旧競技場を突然取り壊してしまったことだ。まだ予算も確定せず、今行われている議論同様、誰が発注者なのか明確でないときに、旧競技場の修繕で安くできるかどうか専門家が検討しているさ中に、その議論を打ち壊すような解体作業が行われてしまったことだ。この発注者はいったい誰なのだろうか?

 

この問題は、他のデザインをはじめとする様々な初期費用の発注や払込みに共通するものだ。責任の所在についてはこの問題を抜きにしては語れない。さらに、国立競技場以外の地方の施設や、他の競技場の費用、経費またそれらを前提とした様々な発注にも同様の問題が生じることとなる。

 

責任の所在を突き止めることは極めて重要だ。その点を明確にし、その問題についての透明性を誰の目にもわかるように明確にすることが今後の運営等についても決定的に重要なこととなる。

払ってしまったものについて、うやむやにすることはできないし、誰がどういう権限でどういう勘定で発注したのか、できるだけ速やかにわかりやすく説明することが必要である。

新国立競技場についての見直しの検討が始まった。当然のことである。

ここで重要なことは、金額をいくらにするかということではなく、透明性を徹底的に確保し、ゼロベースで計画を見直すことだ。いやしくも決して密室の中で作業が行われてはならない。

このような官による巨大投資は、巨大な利権とインサイダー情報の塊となる。建設会社等は金額が大きくなればなるほど収入、利益ともに巨大なものになり、請負金額も多ければ多いほどその会社にとってのメリットは大きいことになる。その結果その建設会社の株式は高騰し、その情報が早ければ早いほど情報は株式投資に甚大な影響を及ぼすこととなりかねない。

このような危険はすべての公共事業に共有する問題となる。

国民が心配し、また不快に思うのは、そういうダーティな密室での出来事が横行することを何とかして払拭したいという思いがあるからだ。

辺野古の例を見ても請負金額をできるだけ多くしたいという建設側の思いから、安くできる地上ではなく、とてつもない金額に跳ね上がる海上埋立へと期待が移っていくことがありうるのではないかということに心配が及ぶことも考えられないことではないだろう。

 

また、新国立競技場の維持修繕費、また地方の施設の建設あるいは修理費等もよく見直すべきだ。オリンピックだからと言ってすべて大盤振る舞いにしていいというものではない。社会保障や年金、医療や介護等今後支出が急増していくことが見込まれる日本にあっては、その歳出を慎重に費用対効果を見ていく必要がある。質素にして心のこもった大会にすることこそ親しみや尊敬の念を醸し出すものであり、借金大国の日本が表向きだけ華美に過ぎる支出を行うことに対し多くの者は逆に奇異な印象を持つことになるのではないか。質素倹約を旨とし、心のこもった大会運営を目指すべきだと今回の騒動を見て強く感じるところである。

今回世論の圧倒的な反対(NHK81%,読売オンライン等95%)が国の方針を変更させた。このような経験が今後の日本の社会全体に良い影響を及ぼしていくことを期待している。

2015年7月15日、安保法案が衆議院特別委で可決された。明日16日の衆院本会議で可決されるのだろう。

これに至るまで何回にもわたる世論調査が、各報道機関等によってなされ伝えられてきたが、石破大臣や安倍首相も言われているように、国民の理解が深まったとはとても思えない状況にある。

NHKや大手新聞社等の世論調査では、内閣不支持率(43%NHK)が支持率(41%)を超える状況にあり、集団的自衛権に対してはおおむね6割が反対を表明している。国民への説明不十分は8割にも達しており(共同通信84.0%、日経81%、読売80%、毎日81%)、法案が憲法違反ではないという政府の説明に納得していないというものも66%にも達している。NHK)。

このような状況の中、与党はなぜ法案を強行に採決したのだろうか。

時間をかけたのだけでは、審議を尽くしたとはとても言えない。もともと与党は国会に過半数を大きく上回る議席を持っているのだ。採決をすれば可決できることは最初から分かっている。民主主義の根幹は主権者である国民が理解し納得するところにあるのだ。

多くの世論調査ばかりでなく、有識者グループや、歴代の内閣法制局長官や憲法学者たち、徴兵制を恐れるママさんグループや若者の団体等、抗議団体が次々と誕生している。

戦争も怖いが、民主主義が弱まることも大変に恐ろしいことだ。政府、与党はもっともっと国民の声に耳を傾けるべきであろう。

*

新国立競技場

2015年7月7日 | 時事問題

新国立競技場の建設費を巡って、凄まじい金額が並んでいる。

 

2012年11月建設費    1300億円。

2013年9月       3000億円。

2014年5月            1625億円。

2015年ゼネコン見積もり 3000億円超。

計画見直し        2500億円?

 

これほどまでに金額が大きく乖離するようなことがプロの積算でありうるのだろうか。 北京オリンピックでも約525億円、ロンドオリンピックでも900億円程度だった総工費と比べても桁外れの巨大な数字になっている。このような迷走について、国民からは大きな不満の声が上がっている。

 

そもそも、国民の税金が入った総工費である以上、透明性を十分に高め、国民の理解と納得がなされなければならないのは当然である。

 

桝添知事も言っているように、都民が総工費の一部を負担するならその議会も承知しなければならない。都民の声や、議会の決議も経ないで、数字だけがあたかも決まったかのように出てくるのは理解ができない。

 

世界一の借金を抱える日本にとっては、歳出をできる限り抑えるのは当然のことだ。まして国民には消費税増税が2回にわたって実施されようとしているのだ。これだけの巨額な支出を本当に行うのかどうか、国民、都民、国会、都議会を含め、充分に透明性を高めた上で行うべきではないだろうか。それ以前の問題としてもなぜ予算額も、都の負担も決まっていない時期になぜどういう手順において旧国立競技場の解体発注が行われたのか、明確に説明をすべきである。

 

FIFAにおいても多くの逮捕者が出て世界中の人々から多くの疑惑が向けられている。日本のオリンピックにあってはそのようなことが絶対に起こりえないよう透明性を常に高めていることが極めて重要である。

日本の安全保障100年の計を決める重要な国会が延長された。しっかりとした議論を行いまたその間に国民の声も十分に聴いてほしいと思う。

現時点において、世論はこの法案に反対するものが多い。説明も十分になされていないと感じている者も過半数を超えている。

 

 

ところが与党の中からは反対の声や反対グループが意見を表明したり、行動を起こすといったことがほとんど聞こえてこない。ふつうこのような大きな案件については、何割かの反対者が出たり、内心においては賛成とは言えないという判断を持つものが出るのは当たり前だと思うのだけれど、今回はそのような状況にはなりそうもない。これは一体なぜなのだろうか。

 

 

これは、小選挙区制のため、反対を掲げれば、前の郵政解散の時と同じように、党から除名されたり次回の選挙において公認がとれなかったり、はたまた知名度のある刺客を送り込まれたりといったことが予想されるため、自由にモノを言えないといったことが、今の状況を作り出しているということも考えられるだろう。そうでなければ、世論調査のほとんどにおいて国民はネガティブな反応を示しているのに、与党議員だけが反対がほとんどいないといったことが生じるとは考えにくいからだ。

かくして、大政翼賛会とは言わないまでも、国会内で多数をもってこの法案を通すということになるのだろう。議員が自分の議席を守るために法案に対する賛否を考えたら、正確な判断はできない。

小選挙区制の極めて大きな問題がここに露呈されることになるわけだが、国民の判断を十分に尊重し、しっかりした議論と100年の計に資する判断を期待するところである。

2015年6月4日(木)、衆議院憲法審査会で、参考人として呼んだ3人の有識者全員が、集団的自衛権の行使容認について「憲法違反」を表明した。与党が推薦した参考人までが違憲と明言したことの意味は大きい。

そもそも、多くの憲法学者、弁護士等の専門家は安保法制を憲法の根幹から変えてしまうようなやり方を憲法自体の変更をせずに行うことにつき強い懸念、反対を示していた。

当初与党は佐藤幸治京大名誉教授に参考人を要請したが、断られ長谷部氏に要請をしたものだ。しかし、当の佐藤幸治氏も憲法の解釈変更で安保法制の整備を進めることには強い不信感を表明している。

6月6日、東京大学で開かれた「立憲主義の危機」と題したシンポジウムでは佐藤名誉教授も「憲法の個別的事柄に修正すべきことがあるのは否定しないが、根幹を変えてしまう発想は英米独にはない。日本ではいつまでぐだぐだ(根幹を揺るがすようなことを)言うのか、腹立たしくなる」と述べている。

人選が良くなかったなどというのは筋違いの議論だ。それどころか政府の望むように発言するいわば御用学者のような人ばかりを集めて都合の良い議論のみをさせるようなことがあるとすれば、それはむしろ民主主義を危機に陥らせるものだ。

ここは、内閣行政局の見解も国民に詳しく説明し、法曹界の見解も幅広く収集し、真摯に取り組みそして十分に検討し、憲法に掲げる立憲主義の思想が真に生きるよう議論を深めることが極めて重要である。

国立競技場およびその周辺にある日突然どんどんと塀が建てられ、国立競技場があっという間に解体され、今は何もなくなってしまった。一体誰がどうやってこの解体を決めたのだろうか?国民や都民に対しどのように説明をし、現存する施設をどう活用し、どの程度改修し、どの程度新規に建設するのか、その費用はいくらかかり、費用対効果はどうなのか、十分な検討と意見交換が当然に要請されるところだ。いうまでもなく国立競技場は国民の貴重な財産であり、その他の設備も国民や都民のものであることは言うまでもない。

 

一方、新国立競技場の整備を巡っては5月18日下村博文文科相が東京都の桝添知事に対し都が500億円の負担を要望し、桝添知事は極めて強い不満を表明している。ということは予算措置も最終的に決められていないうちに国立競技場という国民の財産を解体する発注が行われたのだろうか。東京都知事にさえ説明されていないのであれば、国民や都民が詳細に説明を受けたとは到底言えないだろう。

 

折しもFIFAの多くの役員が逮捕され、組織の不透明性が指摘され、多くの国から透明性の重要性が指摘されている。何をどうしていくのか、極めて多額の税金が使われ、それに伴う利権が生じる状況にある以上、その全体の姿につき十分な透明性が確保され、国民や都民も十分に意見を言えることが極めて重要である。

まずは、国立競技場の解体につき、いつ誰がどのような過程を経て発注を決定し、どのような過程を経て発注の手続きが行われたのか国民や都民に対し詳細に説明すべきだろう。

その中で、なぜ解体工事が終わるに至るまで、文科相も東京都知事も予算につき決着がみられていないのはなぜなのか、十分に国民に対しわかりやすく詳細を説明すべきである。

FIFAに起こっている問題のようなことが、東京オリンピックの招致に関しては絶対に起こらないよう透明性を十分に確保することが極めて重要である。

政府は2015年5月14日の閣議において、安全保障関連法案を閣議決定した。安保政策の要となる集団的自衛権の行使を可能とし、自衛隊の活動を大きく広げる歴史的な大転換となる閣議決定だ。

今後国会において様々な論戦が行われるわけだが、憲法との関係や、国民の真の理解を得て、真に正しい政策の転換なのかどうか十分に検討する必要がある。

 

集団的自衛権の行使については、

1.日本の存立を脅かす明白な危険がある(存立危機事態)

2.他に適当な手段がない。

3.必要最小限の実力行使にとどめる。

ことを明記したとされるが、「存立を脅かす明白な危険」とは何かについてはどこまでをいうのかわからない。石油が止められ、日本経済が混乱するときでも存立危機事態と言えるという説明が聞こえてくるが、もしそうであるなら、「武力行使」を「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めた憲法に違反することになるだろう。

平和憲法ができてわずか70年で憲法に抵触するかどうか問題となる法律案が閣議決定されるのも大変不安である。国会で両院ともに過半数を持つ与党であればこそ、内閣法制局においても、また与党の中においても反対意見や反対グループが出て、厳しく審査が行われ激しい論戦のもとに、より望ましい方向への修正や国民の理解が大きく進んでいくことが望まれるところである。

過半数を持った与党に一人の反対も出ないといった事実上の大政翼賛会のようなものが形成されてしまうことは国民にとって決して望ましいものではない。国民が中身を十分に理解し、真に独立して判断をしていくことが必要である。

2015年4月30日未明(日本時間)、安倍首相はアメリカ議会上下両院合同会議において演説を行った。両院の議院員の揃う合同会議において日本の首相が演説を行うのは初めてのことであり、大変名誉なことだと思う。英語での演説は直接議員の胸に響くものであり、堂々と行われた首相の演説は格調も高く大変すばらしい出来栄えであったと思う。何回も繰り返し行われたスタンディングオベーションも議員たちの感激を率直に表していたと思う。

長い間日本には「顔」がないと言われてきたが、今回の首相の演説は見事に日本の「顔」として多くの人々に印象を残すものとなったと思う。

 

さて、それでは演説の中身についてはどのようなことが伝えられたのか。

日経新聞は、以下の4つのポイントを掲げている。

1.先の大戦に対する痛切な反省を胸に刻む。

2.アジア諸国民に苦しみを与えた事実から目を背けてはならない。歴代首相と同じ。

3.日米同盟を強くする安保法制に取り組んでいる。必要な法案の成立をこの夏までに必ず実現する。

4.TPP、日米のリーダーシップで一緒に成し遂げよう。

 

ここで疑問に感じるのは2つある。一つは歴史問題。「痛切な反省」とは具体的にどのよう様な歴史認識をするということなのだろうか。歴代内閣の歴史認識を引き継ぐということは「侵略」やそれに対する「おわび」といったことを含む反省なのだろうか。歴史問題についてはアジア諸国の人々アメリカを含む戦争当事者の人達のことを思えば、あいまいにしていくことはできない。正面から真摯に向き合ってその中身をはっきりさせる必要があろう。

二つ目は、安保法制に対し、法案の成立を「夏まで」と明言したことである。国会の審議もなされていない時に成立の時期まで明言することに違和感を感じ問題視している向きも多い。主権は国民にあり、憲法は権力の暴走をさせないことを目的としている以上、国民の判断をしっかりと見極める必要がある。衆参両院で過半数を持っていれば何でもできるということではない。

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